名古屋の思い出

名駅の生活倉庫がピークの頃。

名古屋ラシックもない時代。

 

昭和区で寮生活をしていた。


その寮は、玄関はオートロックで閉まるから、常に鍵を持ってないと外から入れない。

今時はどこも、そうよね。

夜の11時から朝の6時までは、オートロックを開けて入ろうとすると、セキュリティが反応して、けたたましく防犯ブザーが鳴るんよ。
同じの寮に住む住民にも、ご近所さんも大迷惑だ。

遊びに出ても、アルバイトをしても門限は23時。
23時に間に合わなかったら、自分の部屋に入れるのは、朝の6時以降。

自転車を踏み台にしてトイレの窓から、こっそり部屋に戻ったりしたこともある。

 

当時は、一人暮らしをしてる友達も居なくて。
よく遊ぶ友達はみんな地方から出てきた寮生と
実家から通う通学生だ。


私の学生時代は、
方言が全くわからないと言われたり、
髪の毛を赤や茶色に染めて、顔の肌荒れがひどくなったり、
ポケベルと出始めたばかりの携帯電話を持って。
たまに携帯とテレビのリモコンを間違えてカバンに入れてたり。
(大きさ同じくらいだったからね)
名古屋駅でイラン人から、偽造テレカを買って、緑の公衆電話で地元の友達と長電話をした。

八事にある、大きな自動車学校へ通った。 

夜遊びしすぎて、寮に入れず、行きたくもないのに、
深夜やってるカラオケ店で夜を明す。
鶴舞公園で寒い寒いと新聞紙を体に巻きつけて
名古屋市内を自転車で深夜俳諧して、砂利の熱田神宮へ入って怒られた。
夜の名古屋港、久屋大通のセントラルパークで騒いで、
死ね死ね団ごっこのようになった。

雨の地下鉄の階段で、頭を下にして階段を転げ落ちたり。

 

まだまだ、きりがないほど遊んだよ。

 

学生のとき、ヨーロッパ研修旅行というのがあって、
旅行に関連した費用が必要になって深夜アルバイトを始めたよ。

寮の近くに朝までやってるラーメン屋があって。
オートロックで入れない時間をアルバイトすることにした。
夜の11時から朝の6時半頃まで。

授業は普通に朝から夕方まであるんよ。
週3くらいバイトをしながら、眠たいなと思いながら授業にでる。
3ヶ月間で結構な金額になった。

研修旅行も、無事に参加できた。
楽しすぎて卒業したくなかったよ。


濃密な時間を過ごした仲間は人生の財産だと思う。
深夜のアルバイトも、私が名古屋で過ごした貴重な体験だった。

スマホが無い時代だったからこそ

色鮮やかな学生時代の思い出が多いのかなと思う。

  

 

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---粛々と 淡々と---